佐野市への想い

Slide  防衛省の34年間勤務中、平成7年の阪神淡路大震災、平成23年の東日本大震災、そして平成28年の糸魚川市の大規模火災と3つの大きな災害の対応・支援を経験しました。こうした中で得られた経験を、防衛省退官後は生まれ育った佐野に恩返しをしたいと思っておりました。防衛省で培った祖国愛を地元愛に変え、生まれ育った佐野に貢献したいと想いから、将来は佐野の政治を担いたいという気持ちが、防衛省在職中から芽生えていました。

 防衛省最後の勤務地は新潟でした。新潟では、防衛省自衛隊新潟地方協力本部で副本部長をしておりました。仕事上、新潟県内の首長の方や議員の方と話をする機会が多くありました。市民の皆さんの安全と安心を守るために日夜努力されているお話を、首長の方や議員の方からお聞きし、定年後は佐野の政治を担いたいという気持ち徐々に増してきました。

 防衛省を退官後はふるさと佐野に帰ってまいりました。佐野で行政書士として佐野商工会議所・田沼ライオンズクラブ等に所属して活動するとともに、また清掃奉仕等のボランティア活動を開始しました。こうした活動の中で、多くの方から市政に対する不満の声を、例えば多選の弊害など、多くの人から聞くようになりました。

 そして、2019年10月12日の夜、台風19号による記録的な豪雨により佐野市は甚大な被害を受けました。私自身も所有する建物が決壊した秋山川の堤防のすぐに西にあったため、1階の方は床上約80㎝という被害を受けました。2回の方は自衛隊のボートで避難をしております。特に赤坂町・大橋町を中心として床上浸水1411戸、床下浸水636戸の甚大な被害を見て、私は決意しました。私は防衛省で培った分析力、実行力、決断力に加え、防災士としての意識を持って、佐野市の安全と安心のために、尽力したいと決意しました。
~佐野を変えよう~